おしまい
3月8日 床下地 壁撤去
要らないと言われた窓。枠の歪みを調整すると障子はスムーズに開閉しました。建てつけも狂いが少なく、修理をすれば使用できる。

昔は活字を買いに来る印刷店の小僧さんたちが毎日店の前に自転車を並べて長い列をつくっていたと中村さんのお母さんから聞きました。
昔は活字を買いに来る印刷店の小僧さんたちが毎日店の前に自転車を並べて長い列をつくっていたと中村さんのお母さんから聞きました。
3月6日 土間コンクリート
土間コンクリート工事。転圧した土の上に砕石を並べて、防湿シートと断熱材を敷きます。そこにひび割れを防ぐ鉄筋を設置してコンクリートを打ちました。表面の水が引くと金コテで押さえ、これを数回繰り返して密実な仕上げにします。
子供の頃、父親の材木を切ったり削ったりする大工とは全く違う左官屋の仕事を眺め、気分よさそうに静かにコテを繰って平滑な壁や床をつくる彼らの技術がとても不思議に見えました。明日はコンクリートを養生させます。

近くでは活版印刷を体験する活版工房が開催されていました。
子供の頃、父親の材木を切ったり削ったりする大工とは全く違う左官屋の仕事を眺め、気分よさそうに静かにコテを繰って平滑な壁や床をつくる彼らの技術がとても不思議に見えました。明日はコンクリートを養生させます。
近くでは活版印刷を体験する活版工房が開催されていました。
3月4日 盛土すき取り搬出
仮店舗で営業中 |
床の撤去。杉や松の床板を撤去すると床下に土間コンクリートはなく湿気で傷んだ根太が土の上に並べてありました。その下には束の代わりにしたものなのか石臼や鉛の地金がありました。また、戦時中に設置された防空壕の跡もありました。
入口部分に貼ってある塩ビタイルを剥がすと、化粧目地の入った土間となっています。コンクリートを打ち直すため余分な土をすき取ると、百円銀貨や陶器の破片などが見つかりました。
「電気カーペットが壊れたわ!寒くて死んじゃう!なんとかして!」 |
3月3日 解体工事
朝、家具や備品が仮の店舗に移されていました。車に積まれた廃品の中に改修後に使用する予定だった木製の机が解体されてありました。
搬出後は内装の解体です。プリント合板を撤去すると新築時の杉板や木製の窓がそこに残っていました。廃材を出したくない施工業者は既存を残したままその上に仕上げを施工することもあります。
煤や油で汚れた四枚の障子、日差しが差し込むガラスを見ると、ここを壁で塞ぐふさぐ計画を変えて、どうすべきか様子を見ることにしました。
仮店舗 |
搬出後は内装の解体です。プリント合板を撤去すると新築時の杉板や木製の窓がそこに残っていました。廃材を出したくない施工業者は既存を残したままその上に仕上げを施工することもあります。
壁面(北側) |
壁面(南側) |
煤や油で汚れた四枚の障子、日差しが差し込むガラスを見ると、ここを壁で塞ぐふさぐ計画を変えて、どうすべきか様子を見ることにしました。
窓ガラス |
3月1日 着工
明治43年(1910年)京橋区木挽町(現中央区銀座)に創業した中村活版製造所。5代目社長である中村さんから、2010年4月に創業100年を迎えるため手狭になった店舗を改装をしたいと相談を受けました。
店内(2009年) |
店舗は戦前から建つ築80年の木造3階建てと築年数不明の木造2階建ての2棟を繋いだ建物です。写真から昔と現在を見比べると、銅板の外壁は鋼板に変わり、木製建具はアルミサッシに交換され、幾度か改修した跡があちこちにありました。カーペットが敷かれた床は、鉛の活字の重みでたわんでいます。
プリント合板の継接ぎの壁、煤で黒くなった梁に渡された碍子配線。そして2階はここに70年間暮らすお母さんの住まい。歴史と現状を見て、なにをすべきか考えました。
店内(2009年) |
活字棚(2009年) |
工事期間中、仮店舗として営業する車庫を先ず改修します。モルタル塗りの腰壁に上部は化粧板が貼られていました。雨漏りによって天井と壁の一部が剥がれ落ちています。
車庫 |
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